
1960年に開発がスタートした千里ニュータウンはそのわずか10年後の1970年に完成し、大都市の近くに計画的に開発された日本初の大規模ニュータウンとして一躍脚光を浴びました。
街びらき当初は、新駅の開設や小学校・中学校の開校、ショッピングセンター開店など、次々に真新しい施設が建設され、その街並みは近代的で先進的でした。
ところが開発着工からすでに50年の時が流れ、現在、人口減少、少子高齢化、住宅や施設の老朽化などの問題を抱えていることに。
今回は千里ニュータウンの発足や歴史、千里ニュータウンの特徴、千里ニュータウン再生計画についてまとめています。



千里ニュータウンの構想が始まったのは1956年頃、この当時は急激な経済成長や工業化により地方から多くの若者が仕事を求めて都市部へと流れこんできました。
第二次世界大戦後、都市部は焦土と化し家屋失われ復興が急がれていましたが、そこに海外から引き揚げてきた人々も加わり一気に住宅不足に。
狭い家にたくさんの家族で住まなければならない厳しい状況に加え、地方からなだれ込んできた労働者を受けいれるためには新たな住居が必要でした。
放置していれば都市部の回りに無秩序に新たな街が形成され、将来的に住みにくくなることは明らか。
そこで大阪市は100 万戸を超える住宅を建設・供給することを決定し、1960年、千里ニュータウンの建設に着手し、ここからニュータウンの歴史が始まりました。

大阪府吹田市・豊中市にまたがる丘陵地に開発された千里ニュータウンは、計画人口約15万人、事業完了時の住宅建設件数は40,120戸と当時のニュータウンとしては日本最大級の規模を誇り、多くの方々が新しい街で新しい生活を始めました。(実際の人口は1975年の13万人がピーク)
北・南・中央の三つの地区に分けられた千里ニュータウンは、さらに「~台」「新千里~町」と命名された12の住区に区分されそれぞれに地区センターを設置。
住区のなかには地区センターをはじめ、幼稚園や保育園、小学校、診療所、近隣公園、街区公園などを計画的に配置しました。
住区のなかには一戸建てだけではなく、集合住宅(公的賃貸住宅)や社宅など違うタイプの建物を混在させ、多くの方々が入居しやすい環境を整備したのも当時としては画期的。
そしてすでに開発から50年経過した千里ニュータウン。
1980年代に初期の戸建て住宅の建て替えが進み、集合住宅はバブル後に民間に売却されて分譲マンションとして更新される工事が始まり、2005年以降も建物の大規模改修が進んでいます。

千里ニュータウンでは1990年頃から高齢化がすすみはじめ、2011年には高齢化率が30%の大台に乗りました。
高齢化率は大阪府内でも突出しており、超高齢社会へ対応するため新たな施設の導入や、住民交流の活性化、近隣センターの有効利用などさまざまな対策が講じられています。
千里ニュータウンの建物は現在建て替えがかなり進んでおり、新しい団地や住宅に若い家族の姿が見られるようになりました。
高齢化のすすんだ千里ニュータウンですが、若い世代と高齢者とが協力しあう助け合いの街へと大きく変化し、新しい歴史を歩み始めています。



千里ニュータウンは全体面積が1,160haと非常に広大ですが、そのうち住宅地の面積は42%、そして緑地の面積は21%と緑地面積にかなりのゆとりがあります。
ニュータウンの景観や環境を守るために千里ニュータウン全体を緑地帯でぐるりと囲み、さらに地区や住区ごとに公園を設置し緑あふれる癒し空間を提供。
街全体に21%もの緑地面積をもつニュータウンは珍しく、千里ニュータウン以後に開発された新興住宅地でもこれだけの緑地を持っている場所はそうそうありません。

住民の安全のため、車道と歩道の動線が分離されているのも千里ニュータウンの特徴です。
歩車分離により子どもや高齢者が安心して生活できるのはもちろん、歩行者専用道路や車道の横に設置された歩道には大きな木を植えることで(並木道)、美しい景観を保ち安全性も向上しています。

1970年の大阪万博の実施により、千里ニュータウンは日本初のニュータウンとして一躍脚光を浴びました。
その後、千里ニュータウン周辺のインフラ整備、北大阪エリアに供給された良質な住環境、さらに文化施設や広域レクリエーション施設などの集積により、高次都市機能が形成されていきました。
良質な住環境がインフラや文化施設、さらに大学や研究施設(国立民族学博物館など)の誘致へと発展し、都市機能の集積から成熟した都市圏が形成され「グレーター千里」と呼ばれる独自のニュータウンモデルが生まれたのです。



千里ニュータウンは開発からすでに50年が経過し、初期から住んでいる住人は高齢化、さらに建物も老朽化しており大規模建て替えが進んでいます。
そんな千里ニュータウンが抱える問題をまとめると以下のようになります。
・高齢化率30%超えで地域活力が大幅に低下
・高齢者の生活が困難化、適切な生活支援が必要
・エレベーターがない、部屋が狭いなど高齢者に住みにくい間取り
・住宅更新(住宅の建て替え)がスムーズにすすまない
建物が老朽化することで住宅の建て替えが必要になりますが、分譲マンションの場合、建て替えには住民の80%の賛成が必要であることから、建て替えが進まない、また理事会の建替え決議をめぐる訴訟が起きるなど、建物更新がらみでトラブルが起きています。
また住民の高齢化により、買い物難民やゴミ出しがむずかしくなるなど多くの問題が一気に表面化。
近隣センターに商業施設など必要な機能を集積した場所もありますが、スーパーがない近隣センターもあり、そのような場合は地区センターまで高齢者が車を運転し、生鮮食料品や日用品を購入しなければなりません。
車が運転できない方は買い物に行けないため、日常生活に支障を来しているケースもあります。
さらに千里ニュータウンに建設された団地は、もともと高齢者が住みやすいように設計されていなかったことも問題に拍車をかけました。
エレベーターが設置されておらず、部屋も40~50㎡の2~3室タイプが主流で狭く、さらにお風呂や洗面所、トイレなどの設備が老朽化し住みにくくなっています。
大規模リフォームがされた団地もありますが、その場合、家賃が高くなってしまうというデメリットも。
エレベーターを設置するにしても高額な工事費が必要なため、住民の同意が得られないというハードルもあり、改修がなかなか進まないのが実情です。

千里ニュータウンの再生を目指して、2018年に大阪府が指針をまとめました。
再生に向けた千里ニュータウンの方向性としては…
・歩いて暮らせる街を目指し、近隣センターを中心として商業や福祉、地域サービスなど多様な都市機能を集積する
・千里ニュータウンの拠点、地区センターを広域拠点として充実させる
・公共公益施設の再編で利便性を高める
・土地利用のルールを作る
・ユニバーサルデザイン視点の、人に優しい都市基盤の整備
・住民と行政による協働管理で新たな仕組みの創出
ほかにも多数の対策があげられていますが、土地や千里ニュータウンに住む住民、すでにある施設などを利用して、地域活性化、ニュータウン再生をめざしています。

千里ニュータウンは、高度経済成長期に生まれた日本初の大規模ニュータウンです。
計画された都市は緑が多く、住民が安全に暮らせるよう配慮された先進的、近代的な街で、多くの方々が快適な生活を享受。
ところが千里ニュータウンも50年の月日が経過し、建物の老朽化、住民の高齢化が大きな問題として浮上しました。











